50年と25年の光の軌跡佐賀県自閉症協会50周年・それいゆ25周年記念行事に参加して
秋の佐賀の空の下、100名以上の思いが一つに重なった日。10月24日、佐賀県自閉症協会の50周年、そして特定非営利活動法人それいゆの25周年を祝う記念行事が開催され、私もその場に居合わせることができました。会場にはそれいゆの職員、当事者や保護者の皆さん、そして、これまで数々の貢献をしてきた人たちが集い、それぞれの役割や立場に応じたテーブルに分かれて座しました。私は「佐賀県強度行動障害検討チーム」の席に着き、現場の最前線で支援に携わる方々と同席し、改めてこの分野の深さと重みを実感した次第です。半世紀にわたる親たちの願いと、四半世紀を刻んできた専門的支援の歩みが交差する、感動に満ちた一日でした。
式の始まり ― 歴史を背負うあいさつ
式が始まると、まず佐賀県自閉症協会会長の赤瀬氏があいさつに立たれました。協会の長として、50年の歩みを振り返り、これまで支えてくださった全ての方々への感謝を述べられたその言葉は、静かでありながら、半世紀の重みをしっかりと負っているように感じられました。続いて、参議院議員の福岡資麿氏が来賓として祝辞を述べられ、国の施策と地方の現場を結ぶ重要性、そしてこれからの自閉症支援における政治の役割について語られました。
特に印象に残ったのは、佐賀県庁の関係者の方々のあいさつでした。陣内氏をはじめ、長年にわたり佐賀県の自閉症施策に奔走してこられた行政の方々が壇上に立たれ、当時の苦労や達成感を語られました。そして「次は100周年の記念行事にも参加したい」との言葉が会場に響いたとき、単なる祝賀の言葉ではなく、行政と現場が共に歩んできた歴史の継続性と、未来への確かな決意が伝わってきました。行政と市民が対立ではなく、同じ方向を向いて歩んできたからこそ生まれる言葉だと感じました。
レジェンドの言葉
式の中で最も深い感動をもたらしたのは、それいゆの初代所長である服巻智子氏のあいさつでした。ひまわりの会から学生ボラティアとして携わり、佐賀の自賀の自閉症支援の礎を築かれた「レジェンド」の言葉は、過去の栄光を語るものではなく、今も現役の支援者としての熱と責任を帯びていました。服巻氏は、これまでの歩みを振り返る中で、エビデンスに基づいた支援の重要性を力強く訴えられました。経験や情熱だけではなく、きちんと裏付けのある支援方法を積み重ねていくことの大切さ。それが25年の歩みを正当化し、次の世代に引き継ぐための基盤となるというメッセージは、会場に集まった支援者全員の心に深く刻まれたことでしょう。
式の最後を飾った一本締めは、自閉症支援界のレジェンドである水野敦之氏が行われました。水野氏の言葉は、ユーモアを交えながらも、当事者の方や保護者の方々への深い感謝に満ちていました。そして、亡くなられた当事者の方々のことも静かに言及され、会場に祈りのような静寂が訪れました。水野氏は「私たちの仕事はAIでは決して代替しえない」と訴えられました。技術がどれだけ進歩しても、人の心に寄り添い、苦悩を分かち合い、希望と共に歩むことのできるのは人間だけであるという、支援者としての誇りと覚悟が込められた言葉でした。
半世紀と四半世 ― 歴史は生きている
会場で配られた「あゆみ」の冊子を手に取り、ページをめくる指先が自然と止まりました。昭和51年、啓発ビデオ「ようちゃん、こっちを向いて」の上映会を機に、親たちの切実な思いから始まった佐賀の親の会は、やがて「佐賀県自閉症協会」として発展し、キャンプやスケート教室、講演会を通じて、子どもたちの成長と親たちの学びを支え続けてきました。コロナ禍で夏のキャンプが中止される試練もありましたが、秋のハイキングへと形を変え、決して途切れることのなかった絆。冊子の文字の一つ一つに、幾世代もの親たちの涙と笑顔が宿っているように感じられました。
一方、それいゆの歴史は、佐賀県自閉症協会事務局にあったNさんの交通事故という痛ましい出来事を契機に、TEACCHの哲学に基づいた支援有効が実証されたことから始まりました。保護者の方たちと先駆者の方たちと一緒にノースカロライナ州TEACCHに同行させていただいたことも思い出の1つです。平成8年の「生活支援センター設立準備委員会」発足を経て、平成13年に特定非営利活動法人として設立され、故古賀義人氏を初代理事長として事業を開始。作業所や相談センター、専門家養成センター、グループホーム「蒼空~SORA~」や就労支援センター「SKY~スカイ~」へと、支援の輪は広がり、深まってきました。
それいゆには、先進的な支援技術を紹介するために外国から多くの専門家(TEACCHのゲーリー・メジボフ氏やジャック・ウォール氏、PECSのアンディ・ボンディ、ソーシャルストーリーのキャロル・グレイ、高機能ASD支援のトニー・アトウッド)を招聘し、それを学び全国から人が集まり、また散らばって、各地域の中核的な人材として活躍するという人材養成機関の役割もありました。そうやって集まってきた対馬の波田さんのような人も来ていました。
反対運動に遭い、開所が難航した時期もありました。それでも諦めず、一歩一歩、佐賀の地に自閉症等発達障害のある人とその家族が心して暮らせる仕組みを築き上げてこられたのです。
テーブルで交わされた対話と省察
私が座った「強度行動障害検討チーム」のテーブルでは、専門職の方々と隣り合わせに座り、強度行動障害を抱える人々の地域生活について、真摯な対話が交わされました。肥前医療センターの會田医師、社会福祉法人はるの福島龍三郎氏、佐賀女子短大の中山氏、株式会社ぷれしゃすの諸石氏をはじめ、現場の医療・福祉・教育の境界を越えて支援に携わる方々の話を間近で伺い、個別の支援計画だけでは測れない「その人らしさ」をどう守るかという問いが、テーブルを囲む全員の胸に共通していることを強く感じました。
この記念行事に参加し、私が長年取り組んできた「支援技術を支援者に伝えると」の意義を改めて問い直す機会となりました。確かに、支援技術の知識は重要です。しかし、それが当事者の方に本当に届くためには、愛情や情熱だけでは足りないのです。支援の仕組みを整えることが必要であり、そのためには行政の方々との粘り強い折衝が必要であり、現場を理解しようとする行政マンの努力が必要であり、法整備のための議員の協力が必要なのです。佐賀の自閉症支援が50年も25年も続いてこられたのは、個人の英雄的行為ではなく、こうした多層的な支え合いの仕組みがあったからこそだと、今回の式を通じて強く実感しました。
水野氏が「AIでは代替しえない」と言われた仕事の本質は、技術や知識を超えた、人と人との関わりの中にあるのでしょう。しかし同時に、その関わりを社会の中で持続可能にするためには、きちんとした仕組みと法度が不可欠です。個人の善意に頼る支援はいつか疲弊し、途絶えてしまいます。服巻氏が訴えられた「エビデンスのある支援」も、まさにその仕組み化の一部なのだと思います。
佐賀の強み ― 人と風土が育む支援
式を通じて、改めて佐賀の強みを感じました。それは、福祉、医療、教育の垣根が比較的緩やかで、協力体制が自然に構築されていることです。専門家同士が縦割りで対立するのではなく、当事者のために一緒に考え、動く文化が根付いている。そして何より、人が優しい。大きな組織の論理や効率だけでは測れない、目の前の人への思いやりが、佐賀の支援の現場には満ちています。
また、佐賀には幕末から新しいことでも必要なことは粘り強く実現していく風土があると、私は感ています。最初から皆が賛成するわけではない。反対運動が起き、困難が山積することもある。しかし、本当に大切なことは、時間をかけてでも、人々の心を動かしながら、着実に前に進んでいく。それいゆの設立過程も、まさにそうした佐賀の風土が生んだ成果なのだと思います。急がば回れ、ではなく、急がずとも回らず、真正面から向き合い続ける力。それが佐の自閉症支援の半世紀を支えてきた土壌なのです。
未来への一本締め
式の最後、現それいゆ理事長の江口寧子氏が最後のあいさつに立たれました。これまでの感謝と共に、これからの支援の在り方を静かに、しかし力強く語られました。過去を振り返るだけでなく、これから生きる子どもたち、若者たち、そして家族たちのために、私たち一人一人が何を担うべきかを問われているような気がしました。
そして水野敦之氏の一本締め。力強く、しかし温かみのある掛け声が会場に響き渡ると、50年と25年の歴史が一瞬にして結集し、次の50年へと受け渡される瞬間を目撃した気がしました。帰り道、手にした当事者が描かれたひまわり模様のトートバックが、夜道の中でも輝いて見えまし。佐賀の自閉症支援の歴史は、まさにひまわりのように、親たちの愛と専門家たちの情熱という太陽の光を浴びて、大きく花を咲かせてきました。50年と25年という節目は、終わりではなく、次の世代への出発点です。私もこの歴史の一部として、微力ながらその光の輪を広げていきたいと、心からそう思った一日でした。














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