「おしゃべりしない」は行動ではない?
①応用行動分析では、「標的行動」を決めてから支援がスタートします。この標的行動を決めること自体が難しいのですが、1つの基準は、応用行動分析で対象とするのは、あくまでも「行動」であるということです。ですから標的行動を記述する際も、具体的に行動を記述することが大切です。行動と行動ではないものを区別する基準は、何か?というと、「死人テスト」を使えばわかります。 死人テスト:「行動とは死人にできないことである」 「おしゃべりをしない」について、死んでいる人はしゃべりません。上記の定義をひっくり返すと、「死人にできることは行動ではない」ということになります(論理学では、ある真の命題がある時にその命題の否定の逆は真であると考えられるので、このように結論付けられます)。ですから、標的行動にするとしたら「授業中におしゃべりをする」ということになります。 ②次に行うのは、記録を取ってアセスメントします。日頃どのくらいの頻度でおしゃべりが起こっているのか、なぜおしゃべりが生じているのかについてアセスメント記録を取ります。一日中、記録を取るのは非常にコストがかかるので
可愛い子どもには旅をさせよ
辞書的な意味は「厳しい経験を積むほど成長するため、かわいい子ほど敢えて辛い思いをさせよという意。昔の旅は辛いものだったことから。」とのことです。 私は自閉症のお子さんの親御さんとも話す機会があります。それは、本人との面談や療育だけではうまくいかず、家族の協力が必要になるからです。誰しもできないことはたくさんあり、そのときは応援を頼み手伝ってもらいます。しかし、本人が親に甘えたいという気持ちを受け止めてあげるのは大事ですが、本人ができることまでやってあげたら、本人の自立ややる気を奪うのではないかと思います。
赤ちゃんっぽいから赤ちゃんみたいに子どもを扱っていると....
発達障がい、知的障がいのお子さんの場合に、発達が遅れているので、赤ちゃんの時期を過ぎても赤ちゃんみたいだし、そのまま赤ちゃんみたいな育て方を大きくなるまで続けてしまうのかな?と思う事例に出会うことがあります。それについて指摘すると何か問題ありますか?というような目で見られます。どうなんでしょうね。 私は、障害のあるなしに関わらず、子どもも一個人として尊重する必要があるし、やがて社会に出ていく一員として、仲間として接すべきではないかと思っています。これは単なる倫理的な信条というだけでなく、そうでない場合に成長と共に現実に弊害が出てくると思います。 まず、子どもの依存体質を強め、自立を妨げることです。本人ができることまで親がやってしまう。本当に小さいうちは、あまり問題が起きませんが、大きくなるにつれ、こだわりが強い子は、親が思い通りにやってくれないと怒り出します。親の方は、子どもを怒らせないように本人の思うままに動く。子どもの怒り出す行動は正の強化により、親の本人の思うままに動く行動は負の強化により、共に強化されます。お互いがお互いの行動を強化し合う
子どものご機嫌取りをしてませんか?2
前回の記事で子どものご機嫌取りをすることの弊害について伝えましたが、また別の事例についてお話します。 3歳の子どもが自分の頭の中の物語に沿って、活動を進め大人を巻き込むことがあります。大人の方も子どもに合わせて付き合ってあげることを延々と続けます。子どもは大満足だし、大人も面白がって楽しく過ごすわけですが、年を経るに連れてある時、突然その子どもは大きな失望と挫折を経験します。他児が「お前変だぞ」とか「おかしい」と指摘し始めるのです。 子どもは、今まで大人が付き合ってくれて何の疑問も感じていなかったのですが、突然、厳しい現実に遭遇し「自分は変なんだ」とか「おかしいんだ」という否定的な自己評価を持つようになります。それが高じて自分はいない方がいいなどと言い出すのかもしれません。 初期において、子どもの遊びに付き合ってあげるのも大事ですが、全面的に受け入れるのではなく「私にはわからない」とか少し意地悪なメッセージを入れるとか、他者の視点を伝えたりすることも大切だと思います。
野口先生 退官記念パーティ
先週は、西南学院大学を退官された野口先生の福岡でお世話になっている施設の仲間内での退官を祝したパーティが開かれ出席してきました。大学ではすでに行われていたのですが、野口門下生の間で是非ということで開かれたパーティでした。 私は、筑波の小林研究室の大学院生だったときに野口先生と出会いました。元々、野口先生も筑波の大学院の卒業生なので大先輩にあたります。小林研究室では、毎年、現場で活躍している実践家や著名な研究者を呼んで夏と冬の研究会を開いていました。ある年に講師として登壇されたのが野口先生でした。当時は、大野城すばる園という、今で言えば放デイとショートスティと生活介護とグループホームを合わせたような施設です。しかし30年前にそのような制度はなく、保護者の利用料と寄付によって成り立っている本当に奇跡のような画期的な施設でした。私は、そういう内部事情はよく分からなかったのですが、すばる園での実践をビデオを交えながら熱心に語られる内容に感銘を受けました。 大学院では、プレイルームの限られた時間内で療育を行うことしかしていませんでした。時々、交通機関の利用
「これなに?」
先日、特別支援学校の小学部の教室を訪問した時に、突然、自閉症の子どもがニコニコしながら近寄ってきて私を指さしながら「これなに?」と聞いてきました。そばにいた先生がすぐに「せんせい、おなまえは なんですか?」というモデルを提示して、子どもに言わせました。その子は、それを真似ながら言ってくれたので、「イマモトです」と答えると、「イマモトせんせい」と言っていました。今度は私の方から「おなまえはなんですか?」とその子に尋ねると「イマモト〇〇です」と苗字を変えて言いました。先生も笑いながら「○○くん、△△でしょ」と本当の苗字を教えてくれましたが、その子はすーとどこかに行ってしまいました。 これは、自閉症の子どものコミュニケーションの特徴を表したエピソードです。簡単な会話ができたり、言葉を知っているお子さんでも、人との適切なやり取りが難しいのです。このお子さんの場合に、何も悪気はなくて、知らない人に対して名前を尋ねる語彙が足りなかったと思ってください。ですから、家庭などで相手に対しては親として謝っておきますが、子どもにはそんなにきつく叱らないでください。その
遊びをやめるように言うと叩いてくる子どもへの対応
次に授業があるので休憩を終わりにして玩具を片づけると、子どもが叩いてきます。叩いたらいけませんと注意すると酷くなるので、あまり対応しないようにしていますが、他児を叩いた時は「ごめんなさいは?」と言って謝らせています。どうしたら叩かないようにできますか?という相談を教員の方から受けました。 子どもがやっている活動を制止したり、注意したりすると、それに誘発されて人を叩いたり癇癪を起こすことがあります。これは、好きなことを急に止めさせられることで起こります。どうすればいいかというと、遊びの終わりの見通しを視覚的に持たせてあげることと、終わりのコントロール権を子どもにあげることです。たとえば、タイマーは時間の見通しのためによく使われますが、タイムタイマーのように視覚的に終わりが見通せるものは有効です。タイムタイマーも見ていないと、急に中止を告げられることと同じになりますので、時々予告をするようにします。 またタイマーが鳴って終わりを告げて、玩具を取り上げるようなことはしないでください。そうすると余計に癇癪が酷くなります。たとえば、終わり箱や容器を用意して