北九州若者サポートステーション引きこもりセミナー 平成27年8月8日(土)

知人であるひきこもり体験者の話を聞く機会があったので行ってきました。講演終了後もファンと思しき人たちに囲まれて、なかなかの人気だったので、遠目で挨拶して会場を後にしました。講演の一部をかいつまんでご紹介します。 <小学校時代>  学校は緊張する場所で一日いるのが辛かったそうだ。低学年の時に友達に「なんで学校に行くん?」と聞いたことがあり、友達からは「そういうもんよ」という返事。普通に友達と遊び、下校後は友達の家で遊んでいた。控えめな性格でドッチボールをしていても、チームに迷惑をかけられないと思い、拾ったらパスばかりしていた。高学年になるにつれ、慣れない同級生には話しかけ辛くなった。暗いと思われないように無理してテンションを上げていた。その頃から行き渋りが出始めた。ある日をきっかけに休むようになり、引きこもり、友達も受け付けなくなる。小6の時は、時々友達に誘われることもあり、気分を一新して行くこともあったが修学旅行までの1ヶ月で限界だった。親にも友達に来ないように伝えてくれと言った。 <中学時代>  入学式に誘われて期末考査までは何とか行けた。その頃の生活は、朝は普通に起きて食事は3食摂っていた。テレビの朝のワイドショー、昼に笑っていいとも、午後のワイドショー、夕方にアニメを観て、親とは下校時間くらいになってゲームをしていいという約束だった。基本的には眠れるタイプだが、入眠時に「翌朝起きれるだろうか?」と不安になった。家族も不安になり、イライラが募ると「なんで行かんのか?」と怒鳴られ、険悪な雰囲気になったので、話さないようになった。近所や親せきが家に来ると、「学校のことを尋ねられるのでは?」と不安になった。家に来ないように親に言っていた。親が仕事で出ている間に制服を着て校門まで行ったことがあったが、足が震えて帰った。卒業まじかに親に「どうする?」と聞かれ「外で働く」と言ったものの、気持ちは働きたくなかった。 <高校時代>  不登校の生徒を受け入れる県外の高校を受験した。1分くらいの面接で受かった。寮生活で小さいころから人に合わせてしまう性格だったせいか、ここでどうしたらいいのかわからなかった。同級生や先輩には可愛がられたが、心身症が生じ頭痛になる。ゴールデンウィークに帰省し里心がついたのか寮に戻れなくなった。先生が訪ねてきたが、そのまま退学の道を選んだ。親がどうするのかを聞くので、形だけハローワークに行った。体を鍛えるためにスポーツジムに1年ほど通う。大検予備校にも通った。仲間と仲良くなりそうになると腰が引けた。通信制の高校に移行し、毎年大検を受け続けた。  その頃に郊外に引っ越したので益々出不精になった。所属がなくなった時に解放感、自由を感じた。本を読むようになり、親に図書館で本を借りてきてもらった。外に出る選択肢はなく、漫画家が儲かるよと聞けば、漫画を描いてみたりした。親には下手と言われたが、少しでも希望を繋げたのは良かった。 <転機>  テレビは見ていたがネット環境にはなかった。その頃から、少年犯罪や「引きこもり」という言葉が出始め、自分がそうなんだと気が付いた。ニュースで親の子殺しの事件が報道され「僕を殺さないでね」と言ったこともある。自分は精神的に不健康だと思い親に精神科医の人に来てもらうように頼んだ。すると区役所の福祉関連の人が訪問してくれたが「精神は何も問題ない」と言われた。不健康だと言われれば、病院に行こうと思っていた。「二十歳になるまでに何とかするから」というのが口癖で、何とかならなかったら死ぬしかないと思い、疑似体験でご飯を抜いてみた。どうしようもなくお腹が空いて絶食は止めた。  「よし出よう」と決意した。家の門の扉を開けるところで動悸と不安が込み上げてきたので引き返した。体は健康だがメンタルが問題と往診に来てくれたドクターと話した。 <練習>  外に出る練習を始めた。抗不安薬の助けを借りて、家から1,2分の所にある自販機までジュースを買いに行く練習から始めた。それでも玄関で1,2時間悩んで動けなかった。出られる日と出られない日があった。出ても人と遭遇すると引き返した。目をつぶって行ったこともある。  人を気にしない練習も始めた。そのために庭で本を読む。通りがかりの人になれるためだ。ドライブで出かける時は車窓から人が見えるのが気になったので、寝転んで足を出すようにした。親はそうしていても何も言わないようにしてくれた。  徐々に近所までエフコープで買ったものを取りに行く練習に移った。親が先回りして近所の人には、何も聞かないようにしてとお願いしていたので、挨拶のみで何も聞かれずありがたかった。親は、セミナーに出て引きこもりのこと、どのように対応したら良いかを勉強していたようだ。  徐々に外に慣れる練習は進んでいったが、電話は怖かった。電話が鳴ると動悸がする。そこで時間を決めてかけてもらうようにした。自分からは、あまりしゃべらず向こうがしゃべった。 <サポートセンター>  そして引きこもりセンターの人の訪問を受けた。始めての訪問は1時間くらいで何もしゃべらずただ聞くだけ。サポートセンターに行くようになった。自分からはあまり話さないが居心地は良く安心感があった。もう少し社会参加したなあと思うようになった。引き込もりの映画「ホーム」を観た。 <就労>  単発のボランティアをするようになり、1ヶ月のアルバイトにチャレンジした。世間知らずなのが不安だった。フリーマーケットでいろんな事業を展開してる人で、自分で七味唐辛子を売るという仕事だった。とても充実して自信が持てた。それでも一日8時間働く自信はなかったが、その頃、福祉作業所に誘われ手伝うことになった。寝坊して昼から行ったりしていたらさすがに怒られた。1年後また、唐辛子の新しい工場が出来たというのでバイトをしたが、1年くらいで辞めて半年プラプラしていた。すると新しい作業所が開所するというので仕事をすることになった。 <働きながら感じた事>  周りの人がサポートしてくれたこと、タイミングよく周りからサポートや働きかけがあった。しかし働き始めの頃はストレスでメンタルをやられた。仕事に関して指示されることに関しても世間知らずでわからないことが多く、「なんでだろう?」と疑問に思い、不安神経症になったこともある。今の働くモチベーションは、社会参加することでできた縁、その人たちに恥ずかしい思いをさせないということだ。 <昔の自分に言いたいこと> 会場の人からの質問  当時は「学校には行かなければいけない」と思い込んでいて選択の幅が狭かったなあと思うので、「何をしてもいいよ。」「いろんな選択肢があるよ。」と言ってあげたい。 http://www.kitakyushu-saposute.com 北九州若者サポートステーション http://www.step-kita.com 北九州市ひきこもり地域支援センター「すてっぷ」

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(同) ABC研究所は、自閉症スペクトラム障害 (ASD) に関する支援法について普及や啓発を行うことを使命にしています。自閉症支援は、応用行動分析 (ABA) とTEACCHプログラムに基づいた科学的方法論を基にしています。ABAは、自閉スペクトラム症をはじめとする発達障害の支援についてアメリカ連邦公衆衛生局によって科学的に効果が確認されている方法論として推奨されています。TEACCHは米国ノースカロライナ大学と州政府が中心となって州全体で取り組んでいる自閉症児者の包括的な支援制度で、そこで開発された構造化や視覚的支援などの方法論は世界的な自閉症支援の標準となっています。ABC研究所は、その使命を果たすために、自閉症スペクトラムの支援法に関する研修・セミナー、施設・学校でのコンサルテーション、コミュニケーションや学習教材の研究開発、個別の療育や相談を行っています。

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