好子(強化子)をコントロールする

 先日、インターネットばかりして教師が提示する学習活動を拒否する通常学級の特別支援学級にいる小6の男児の相談を受けました。教師の話を聞き、教室での様子を観察すると、その生徒は教室にやってくると自分でノートパソコンを開き電源を入れてインターネットを見ています。教師が学習プリントを提示しようとすると暴言を吐き、教師を蹴ろうとしました。それ以上、強要すると癇癪を起し抑えられなくなるのでそれ以上は強要しないようにしているとのことでした。教室にいるほとんどの時間はインターネットばかりしているそうです。彼は自分のホームページを作ってブログの投稿や、なんと不登校の生徒の相談まで行っているそうです。

 一方、隣の教室はトランポリンが置いてある遊具室になっていましたが、入口に南京錠がかかっていては入れないようになっていました。先生に聞くと、以前は自由に出入りできていたのですが、その生徒が入り浸りになり、切り替えも難しくなったので、最近鍵をかけるようにして必要な時だけ入って使うようにしているそうです。

 私は教員の方たちとの懇談の中で、まず子どもが好きなものを教員側のコントロール下に置かないといけないことを伝えました。そこですぐに教員の方から次のような反論が出ました。「でも、そうすると子どもはひどい癇癪を起しますよ!」私は「そうです。癇癪は起きます。でも遊具室の場合にも癇癪を起しましたが、その後はどうなりましたか?治まりましたね?完全にコントロール下におけば癇癪はやがて治まります。でも癇癪が起こるので中途半端に許してしまうから、いつまで経っても癇癪は治まらないですし、逆に長引いたり強まる要因にもなっているんです。」と強く訴えました。

 これまで散々苦労を舐めてこられてきた教員の方たちには申し訳ないですが、これは真実なのでしょうがありません。行動論的には、好子を取り去ることで誘発行動としての癇癪が起こります。それに耐えきれなくなって癇癪の後に好子を提供するから、ますます癇癪行動は強力に強化され持続するようになったということです。保護者の発言でも「子どもとは常に根競べです」というものがありましたが、結局、最終的に親は根競べに負けて癇癪を強化してきたということなのでしょう。

 「癇癪を起させるのはいけないこと」と思い込んでいらっしゃる人がいるかもしれません。「癇癪を起こさせると心に傷を与えてしまうんじゃないか?」とメンタリスティックな議論の罠に陥る場合があります。しかし何か重要なこと(ここではセルフコントロール)を学ぶために一時的に癇癪を起すことは、むしろ必要なことです。以前、この生徒が他児に暴力を振るう所を目撃した校長が毅然となって注意したところ、大癇癪を起こしたそうですが校長はひるまず人を叩くことは良くないと言って叱りました。翌日、生徒は登校してきて校長室に入って来て校長に挨拶をして教室に向かったそうです。

 あるいは、人の行動や好子を他人がコントロールするのは良くないと思ってらっしゃるかもしれません。「それは人権侵害だ!」と社会倫理的な議論の罠です。ある人の不利益を与えるために一方的にコントロールするのは良くないと思いますが、その人がセルフコントロールや最低限の社会的行動(暴言や暴力でなく適切に振る舞うなど)、学習行動を身につけることはその人の為ですし、その目的で好子をコントロールすることは良い目的ではないのでしょうか。逆にネットを見ることがその人の望みで人権を尊重することだからと言って、セルフコントロールや社会的行動の習得を疎かにすることが教育の目的なのでしょうか。

 一方的にこのような取り組みを実施するのは、良くないとも思います。最低限、本人とコミュニケーション(説明)を取りながらの実施は必要でしょう。現実にどのようにパソコンをコントロールするかですが、教員が子どもの目の前で取り上げたりするのは、暴力行動を誘発するので得策ではないでしょう。遊具室のように独立した別室があった方が良いと思います(場所と活動の1対1対応)。

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